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2025.1.22 wed.

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約 12 年ぶりに届けられたフルアルバム『風夢記』は全 12 曲入り。奥井さんが 定期的に続けているライブ・シリーズ“うたの素”のアンコールで、彼女自身の弾き語りで披露することを目指して作られた曲たちが、ゴンドウトモヒコさんの絶妙なサウンド・プロデュースを得て、それぞれの個性をより際立たせながら、しかも全ての曲が束になって奥井さんの真っ直ぐな思いを伝えてくれる1枚に仕上がっています。

ここでは、その奥井さんの真っ直ぐな思いを奥井さん自身の言葉を交えながら解き明かしていくわけですが、そのひとつの指針として“『風夢記』は逆立ちにまつわるアルバム”と、ひとまず言ってしまいたいと思います。

逆立ちにまつわるアルバム!?

取材/文:兼田達矢

Photographer : 南賢太郎 (FOCUS STUDIO)

Hair&Make-up : Shihomi (FOCUS STUDIO)

♪逆立ちしたら逆さの国に行けると思っていた♪

「インヌコナサカス〜さかさのくにのうた〜」

こんなふうに歌い始める7曲目「インヌコナサカス〜さかさのくにのうた〜」は、大人の童話のような1曲です。「あれ、ほんと半分ぐらい、ちっちゃい時から思ってることばっかり書いたって感じ」と奥井さんは言いますが、実際のところ、逆立ちしてみるとどんなことが起こるでしょうか?「逆立ちして部屋の中を見ると“こんなところにゴミが!”とか気づくんですよねえ」と、奥井さん。見慣れた風景も、これが当たり前と思っていたことも、見方を変えると発見があるということでしょうね。加えて、奥井さんはトレーナーから「自分の腕で自分の体重くらい支えられないとねえ」と言われて、ハッとしたとか。とりあえず、自分の体重を普段支えてくれている足に感謝!です。

とは言え、自分の足に毎日感謝してるのもなんだかバカみたいだし、そもそも誰もがなにかと忙しいから、素敵な発見があるとか言われても逆立ちなんてなかなかしないですよね。奥井さんはこの歌を♪逆立ちしたら逆さの国に行けると思っていた/だけど逆立ちうまくできない大人になった♪と結んでいます。個人的には、大人になると逆立ちがうまくできなくなる、もっと言えば、逆立ちをうまくできなくなることが大人になるということ、なんて気もするのだけれど...。

つまり、大人になっていくと、ついつい人と同じこと、普通だと思われていることに流されてしまうもの。でも、それじゃあ素敵な発見や意外な出会いの機会を逃してるかもよ、と奥井さんは歌っているのかもしれません。

♪ほら 今日も特別な一日♪

「軌跡」

逆立ちしなくても、気持ちの持ち方をちょっと変えれば、世界の見え方は変わり、 毎日の生活を面白く感じられることが増えるのかもしれません。♪私の名前は 奇跡♪という歌詞で結ばれる3曲目「軌跡」の主人公は奇跡、奥井さん流の言い方で言うと“ミラクルさん”です。

「ミラクルさんからすると、『ここまでの軌跡が大事なんですよ! ここまでも実は奇跡なんです!』ということに気づいてほしいなと思ってるんです。奇跡の中にいるから気づかないんだろうけどって。しかも、奇跡ってものすごいことだと思ってるかもしれないけど、じつはほんのちょっとしたことなんだけどなって」 奥井さんが思う奇跡な瞬間が詰め込まれたこの曲の歌詞をたどって行くと、奇跡の連なりの軌跡は確かに日々の暮らしというものに重なっていきます。

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♪私が見つける 私だけの GOODHELLO♪

「GOODHELLO」

世の中の空気や人々の気分も、時の流れのなかで変わっていくから、結果として自分が逆立ちしたような効果を得られることもあるでしょう。奥井さんは、コロナ禍の時期に耳にした話のおかげで、ネガティブに捉えていた自分の有り様を “そうでもなかったのね”と思い直したと言います。

そもそもの話として、奥井さんは「自分を嫌い過ぎて、ダメダメダメって思ってた」そうです。だからこそ、“逆さの国”に行きたいと考えたりしたんだと思いますが、そうした居心地の悪さを抱えながらもこの世界の中でなんとか自分というものをキープしてきた結果を今、彼女はポジティブに捉えています。 「“奥井亜紀ちゃん、頑張ってたな”みたいな、自分への赦しみたいな気持ちもこのアルバムには出てるかも。ちょっと変わった服を着てても、『それ面白いね』 と言ってもらえたり、『その服どこで買ってるんですか?』って聞かれたりすることが、1個 1個私の自信みたいになってて、いつの間にかそれが自分の個性になってたりするし。で、それはもしかしたら音楽もそうなのかなって思います。 『どのジャンルにも入らない奥井亜紀でいたい』とか言いつつも、どのジャンルにも入れないからそう言ってるじゃんみたいな感じがしてたこともあったけれど、今はもう『そうしたいからそうしてます』って感じやし、『どのジャンルでもないです』という感じを突き詰めたいなって思ってる」

無理に逆立ちして“逆さの国”を探さなくても、この世界にだって自分にとっての 居心地のいい場所は見つけられるということなのかもしれません。

♪ふるえて選ぶ 未来をコール/そしてゲームは続く♪

「コール」

しかし、居心地のいい場所が見つけられて一件落着、と奥井さんは思っていないようです。だって、これまでよりも、これからのほうが、きっと楽しいから。

「ホント、過去の全ては次の一瞬のためにしかないって思ってる。人間ってやっぱり、お別れしたりする時、何かを断ち切る時はすごく辛いじゃないですか。捨てるみたいで。でもそうじゃなくて、過去の全部はあなたを次に押しやるためにあるんだから捨ててるんじゃない、大丈夫だよって思うし、それは言い続けたいなとずっと思ってる。だから、今辛いって思ってる人も、もうちょっと頑張って、 “あれをやったから今めっちゃ幸せ”って思った瞬間に、今辛いと思ってても全部幸せなことに絶対変わっていくから」

この未来に対する揺るぎない期待が、奥井さんの歌に込められた祈りの気持ちを説得力のあるものにしているんだと思います。

♪曲がった道に出くわしても/まっすぐな心で進むだけ♪

「北風トランペット」

「北風トランペット」は静かな曲です。こんな熱い決意も決して声高に歌われたりしません。しかし、この曲をよく聴けば、声高になる必要などないことにすぐ思い当たるでしょう。その決意は“君”に受け取ってもらえば十分だからです。言い方を換えると、この歌の宛先は“君”という存在であって、“君”に歌が届くこと以外は何も望んでいないから、静かで切なさをはらんでいながら、確かな熱量を感じさせるのでしょう。

もっとも、歌の宛先がはっきりしているということは、このアルバムに収められている曲に共通した特徴です。それはおそらく、まずライブで弾き語ることを目指して作られたからではないでしょうか。誰かに向けられた言葉はすごく広がっていくようでじつは誰の胸にも響かないということを、SNSの現場で多くの人が実感しているはずです。ライブを見に来てくれた目の前の人に届けるというふうに宛先をはっきりさせることが、逆にその歌に奥行きと強さを与えます。それは、“逆さの国”の話ではなく、この世界の真実です。

同時に、ライブを積み重ねることで自分の歌を届ける宛先をリアルに実感できるようになったのだとしたら、それは奥井さんにとってここまで音楽活動を続けてきたことの大きな収穫のひとつでしょう。

​Art Direction&Design : 新井萌美

Photographer : 加藤 亮(DIGITAL DESIGN WORKS)

​Photographer assistant : 越田明浩(Creative Studio)
Hair&Make-up : tomoe shiosaki(Locus)

♪花火をあげろ/旅立ちの朝/ショーがはじまる♪

「ナツノックロック」[NATSU Oʼclock]

ただ、このアルバムの魅力を探れば、やはりゴンドウトモヒコさんのアレンジの素晴らしさも見逃すわけにはいきません。ゴンドウさんは、いわゆるYMO チルドレンと言っていいかと思いますが、テクノポップと言われたYMO の音楽の個性がじつは生身の人間の演奏に負うところも少なくなかったのに似て、彼のアレンジも構築的でありながら機械的な硬直さは感じさせません。熟練の漫才コンビのように、歌とサウンドが独特の間合いで絡み合いながら、しかしあくまでも歌を前に押し出していきます。クラシカルな味わいがありながら、同時にユーモアも感じさせるのは、むしろ古典落語的と言うべきでしょうか。おかげで、奥井さんの歌はいつにも増して伸びやかで、表情豊かです。

♪うまく言えないけど ありがとう 君がだいすき♪

「ソングバード」

さて、先行配信リリースされた12 曲目「クリスマスのように」を、ライブにおけるアンコールと考えれば、このアルバムの本編は♪アリガト/キミガダイス キ♪というリフレインで幕を閉じます。逆立ちしたら“逆さの国”にたどり着けるかもと思っていた少女は、歌うことを通して世界と向き合い、表現の喜びと困難の間を彷徨いながら、感謝と祈りを身に纏い、また次の瞬間の驚きに歩を進めていくようです。その道のりを“風と夢の記録”、『風夢記』と言ってしまえたら、それはずいぶんと素敵なことだと思います。

♪好きの逆さは嫌い でも 愛は愛のまま♪

「インヌコナサカス〜さかさのくにのうた〜」

ところで。 奥井さんが生まれ育った兵庫、それに大阪の街ならかつてはどこでも、「おばちゃんのは“ヴィタミン愛”がいっぱいやから、おいしいで」と言いながらニカッと笑ってボリュームたっぷりの、確かにおいしいお好み焼きを差し出してくるような店があったものですが、さて今はどうなんでしょうか?

奥井さんは、♪アリガト キミガダイスキ♪をいっぱい詰め込んで、少しはにかみながらこのアルバムを差し出してくれました。

いろんな楽器がカラフルに彩りを添える具だくさん。弱った心と膨らむ希望に効く一品です。

さあ、ゆっくりたっぷり召し上がれ。

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